浦和地方裁判所 平成4年(ワ)336号 判決 1992年10月28日
両事件原告
長谷正紀
同
長谷伊久子
右両名訴訟代理人弁護士
松浦安人
九八二号事件被告
甲野一郎
右訴訟代理人弁護士
中村直治
三三六号事件被告
甲野二郎
同
甲野春子
右被告三名訴訟代理人弁護士
佐脇浩
同
小林芳郎
九八二号事件被告
埼玉県
右代表者知事
土屋義彦
右訴訟代理人弁護士
鍛治勉
右訴訟復代理人弁護士
梅園秀之
主文
一 九八二号事件被告甲野一郎は、原告長谷正紀に対し金一一九七万六四〇五円及び内金一一一七万六四〇五円に対する平成元年一一月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 九八二号事件被告甲野一郎は、原告長谷伊久子に対し金一一二五万六四〇五円及び内金一〇四五万六四〇五円に対する平成元年一一月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らのその余の請求は、他の被告に対する請求を含め、いずれもこれを棄却する。
四 訴訟費用中、原告らと九八二号事件被告甲野一郎の間に生じた部分はこれを三分し、その二を原告らの、その余を九八二号事件被告甲野一郎の負担とし、その余は原告らの負担とする。
五 この判決は、主文第一、第二項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告らの請求の趣旨
1 九八二号事件被告甲野一郎及び同埼玉県は、連帯して原告長谷正紀に対し金三六五七万七八一七円及び内金三五五七万七八一七円に対する平成元年一一月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 九八二号事件被告甲野一郎及び同埼玉県は、連帯して原告長谷伊久子に対し金三四九五万四五三七円及び内金三三九五万四五三七円に対する平成元年一一月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 三三六号事件被告甲野二郎及び同甲野春子は、連帯して原告長谷正紀に対し金三六五七万七八一七円及び内金三五五七万七八一七円に対する平成元年一一月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
4 三三六号事件被告甲野二郎及び同甲野春子は、連帯して原告長谷伊久子に対し金三四九五万四五三七円及び内金三三九五万四五三七円に対する平成元年一一月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
5 訴訟費用は被告らの負担とする。
6 第1項ないし第4項につき仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する被告らの答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
[九八二号事件]
(請求原因)
一 当事者
原告長谷正紀(以下「原告正紀」という。)及び同長谷伊久子(以下「原告伊久子」という。)は訴外亡長谷重徳(昭和四六年四月二五日生、以下「被害者」という。)の両親であり、被害者は後記事件のあった平成元年一一月二日当時、埼玉県<番地略>所在の同県立吉川高等学校(以下「吉川高校」という。)三年三組に、被告甲野一郎(昭和四六年一二月二六日生、当時一七歳、以下「被告一郎」という。)は同校三年二組にそれぞれ在学していた。被告甲野二郎(以下「被告二郎」という。)及び同甲野春子(以下「被告春子」という。)は被告一郎の両親であり、被告埼玉県(以下「被告県」という。)は吉川高校の設置者である。
二 本件事件の発生
1 被告一郎は、平成元年一一月二日午前一一時四五分ころの第三校時と第四校時の間の休憩時間中に吉川高校ホームルーム棟東側男子便所内(以下「本件現場」という。)において、被害者から足蹴にされ、顔面を殴打されたため、これに反撃して同人の顔面を殴り返したが、激昂した被害者が更に殴る蹴るの暴行を加えたので、所携の折りたたみ式ナイフ(刃渡り約5.5センチメートル、以下「本件ナイフ」という。)を右手に持ち、被害者の胸部、腹部等を数回突き刺した。
2 被害者は、被告一郎の右暴行により、両肺損傷等の傷害を受け、前同日午後八時三〇分ころ、埼玉県<番地略>所在の吉川中央病院において死亡した(以下、この傷害致死事件を「本件事件」という。)。
三 被告らの責任
1 被告一郎の責任
(一) 被告一郎は、昭和四六年一二月二六日生まれで本件事件当時一七歳であったから、自己の責任を弁識する知識を備えていた。
(二) 被告一郎は、前記のとおり本件ナイフで被害者の胸部、腹部等を数回突き刺し、両肺損傷等の傷害を負わせ同人をして右傷害により死亡させたものである。
(三) よって、被告一郎は、民法七〇九条により原告らの後記損害を賠償する責任を負う。
2 被告県の責任
(一) 本件事件当時、訴外松下吉蔵(以下「松下校長」という。)は吉川高校の校長であり、訴外福重満文(以下「福重教諭」という。)は同校の教諭で被告一郎のクラス担任であった。
(二) 学校長及び教諭の一般的注意義務
学校は、父母等法定の監督義務者との在学契約に基づいて、在学中の生徒の生命に危険が生ずることのないように、法定の監督義務者に代わってその安全を配慮すべき保護監督義務を負担しており、高等学校長及び教諭は、学校教育法等の法令に基づいて、学校における教育活動及びこれと密接な関係を有する生活関係、たとえば学校時間の休憩時間中における生徒の生活関係については、法定の監護義務者に代わって生徒を保護監督する義務を負っているものである。
(三) 松下校長及び福重教諭(以下「松下校長ら」という。)の具体的注意義務違反
(1) 被告一郎は、本件事件の相当以前から、校内において「ツッパッタ」(腕力を誇示することによって他を制圧し、自己の意思に他の者を従わせようとする態度をとること)行動を示していて、本件ナイフを常時所持し、それを他の生徒に誇示してもいた。
また、高校生は往々にして喧嘩闘争に備えてナイフ、ナックル等喧嘩の道具を所持することがあるし、さらに、本件事件発生場所のホームルーム棟東側便所付近は休憩時にツッパリの生徒らが参集して喫煙をしながら談笑する場所となっていて、ツッパリの生徒同志が喧嘩におよんだりする危険のある場所であった。
(2) そして、松下校長らは、右(1)の事実を本件事件以前に知っていたのであるが、被告一郎に対して折りたたみ式ナイフを携行しないように、また、ナイフ、ナックル等喧嘩の道具を所持しないように注意、指導しなかったばかりか、これらの物を所持しているか否かを確かめるため生徒らに対して所持品検査をするなどの指導もしなかった。
また、休憩時間中に便所付近を巡回し、生徒に対し、喫煙をしないように注意し、隠れた場所に参集しないで校庭、教室等明るい場所で休憩するように指導すべきところ、松下校長らは、休憩時間中の便所付近の巡回をしなかった。
(3) このように松下校長らには、所持品検査を含めて、右注意、指導する義務を怠った過失があり、さらには、休憩時間中の巡回指導をすべき義務を怠った過失があるところ、同人らがこれらの義務を怠らなければ本件事件は未然に防止できたものである。
(四) 被告県は、松下校長らの使用者であり、吉川高校の設置者である。
(五) よって、被告県は、民法七一五条又は国家賠償法第一条により原告らの後記損害を賠償する責任がある。
四 原告らの損害
1 被害者の逸失利益 四七九〇万九〇七五円
被害者は、死亡当時満一八歳の健康な男子であり、本件事件により死亡しなければ六七歳までの四九年間就労が可能で、一八歳から六七歳まで稼働したとして昭和六三年度賃金センサス第一巻第一表の産業計全労働者の年平均賃金三九二万四四〇〇円を取得できたところ、被害者の生活費として右取得の五〇パーセントを控除し、新ホフマン式計算によって法定利率による中間利息を控除して死亡時の一時払額に換算すると被害者の逸失利益は次のとおり四七九〇万九〇七五円であって、原告らは右損害賠償請求権の二分の一に相当する二三九五万四五三七円を各相続した。
3,924,400×0.5×24.416
=47,909,075
2 葬儀費用 一六二万三二八〇円
原告正紀は、平成元年一一月四日、被害者の葬儀を行い、その費用として一六二万三二八〇円を支払った。
3 慰謝料 原告ら各自一一〇〇万円
被害者は原告らの次男で平成二年三月吉川高校を卒業して就職する予定であったが、その急な事故死によって、原告らは失望と悲嘆のどん底に突き落とされた。よって、その精神的苦痛に対する慰謝料として原告ら各自一一〇〇万円が相当である。
4 弁護士費用 二〇〇万円
原告らは、本訴を原告ら代理人に委任し、その費用として二〇〇万円を支払い、各自一〇〇万円ずつ負担した。
五 結語
よって、被告一郎に対しては不法行為に基づく損害賠償として、被告県に対しては民法七一五条又は国家賠償法一条に基づく損害賠償として、原告正紀は三六五七万七八一七円及び内三五五七万七八一七円に対する、原告伊久子は三四九五万四五三七円及び内三三九五万四五三七円に対するそれぞれ不法行為の日の後である平成元年一一月三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払いを求める。
(請求原因に対する認否及び被告らの反論)
〔被告一郎〕
一 請求原因一の事実は認める。
二1 同二1の事実のうち、本件事件の発生日時、場所及び被告一郎が被害者の胸部、腹部等を本件ナイフで数回突き刺したことは認め、その余は否認する。
2 同二2の事実は認める。
三1 同三1(一)の事実のうち、被告一郎の生年月日、事件当時の年齢は認め、その余は争う。
2 同三1(二)の事実のうち、被告一郎が本件ナイフで被害者の胸部、腹部等を数回突き刺し、両肺損傷等の傷害を負わせ同人をして右傷害により死亡させたことは認め、その余は否認する。
3 同三1(三)は争う。
四1 同四1のうち、被害者に損害が発生したこと、原告らが被害者の両親で相続人にあたることは認め、その損害額と相続した金額を争う。
なお、新ホフマン係数による逸失利益の計算は被害者死亡時の年齢における収入を基準とすべきである。
2 同四2は知らない。
3 同四3の事実のうち、被害者が原告らの次男であることは認め、その余は不知、その主張は争う。
4 同四4の事実は知らない。
〔被告県〕
一 請求原因一の事実は認める。
二1 同二1の事実は認める。
ただし、被告一郎が被害者を本件ナイフで突き刺した経緯は次のとおりである。すなわち、被告一郎は、当日、本件現場において、被害者から本件事件の前日に吉川高校の廊下で肩が触れ合ったことなどを理由に因縁をつけられ、突然両大腿部を膝蹴りされ、さらに、罵声を浴びせられ顔面を手拳で強打された。同被告は、さらに被害者から攻撃されるものと考え同人の顔面を殴り返したところ、かえって、激昂した被害者から一方的に顔面等を手拳で強打されるなどされて本件現場北側の壁まで追い詰められたため、自己の身体、生命に対する危険を感じ、咄嗟に自分の上着のポケットにしまっておいた本件ナイフを取り出し被害者に対して示したが、同人はなおも被告一郎の顔面等を手拳で殴打し、足蹴りする等の暴行を加え続けた。被告一郎は、被害者の右暴行を防ぐために本件ナイフを被害者に向かって振り回したが、その後も被害者が同様の暴行を繰り返し加えてきたので、本件ナイフを使ってその暴行に対抗したのである。
2 同二2の事実は認める。
ただし、吉川中央病院の所在地は「大字平沼一一一番地」である。
三1(一) 同三1(一)の事実は認める。
(二) 同三1(二)の事実は認める。
(三) 同三1(三)は争う。
2(一) 同三2(一)の事実は認める。
(二) 同三2(二)の事実のうち、高等学校長及び教諭が学校教育法等の法令により学校における教育活動及びこれと密接な関係を有する生活関係について生徒を保護監督する義務を負っていること、学校時間の休憩時間も学校教育活動ないしそれと密接不可分な関係を有する生活関係にあたることは認め、その余は否認し、その主張は争う。
親権者は、未成年者に対し、学校における生活関係についても保護監督義務を有している。
(三)(1) 同三2(三)(1)の事実は否認する。
(2) 同三2(三)(2)のうち、吉川高校で所持品検査をしていなかったことは認め、松下校長らが原告主張の事実を事前に知っていたことは否認し、その余は争う。
被害者及び被告一郎が高校生であり、自己の行為の善悪を弁識する能力を有していることや高等学校の生徒指導という性質から考えても原告主張のようなことまでの保護監督義務はなく、本件事件当時、特に所持品検査を実施する必要性も認められなかった。
また、事件当時、吉川高校では服装、頭髪、廊下や教室でのボール投げ、喫煙、授業時間に遅れないで教室に入ること等について注意するなどの生徒指導を行っていたが、本件事件が発生することを予測させるような具体的状況にはなく、松下校長らには生徒を保護監督する義務を怠った過失はない。
(3) 同三2(三)(3)は争う。
(四) 同三2(四)の事実は認める。
(五) 同三2(五)は争う。
四 同四はいずれも争う。
(被告らの主張)
〔被告一郎の主張〕
一 正当防衛
被告一郎の本件加害行為は次のとおり正当防衛にあたり、同被告に損害賠償義務はない。
1(一) 本件事件に至る経緯
被告一郎は、平成元年九月初めころ、吉川高校内で被害者を同級生の訴外喜島ケイタと見誤ってふざけて小突いたことがあり、また、本件事件前日の同年一一月一日には同校内廊下で被害者とすれ違った際、被告一郎と被害者が互いに道を譲らず双方の肩がぶつかりあったことがあった。被害者は、このようなことがあったことから、被告一郎に対して怨念を募らせ、後記のとおり本件事件の端緒となった暴行を同被告に加えることとなった。
(二) 本件事件の状況
(1) 被告一郎は、平成元年一一月二日午前一一時四五分ころ、本件現場において、被害者から睨みつけられたが、喧嘩になるのを避けるために同人の顔を見ないようにしていたところ、同人から前日廊下で肩がぶつかったことに絡めて「むかつくんだよなー。」と申し向けられ因縁をつけられたうえ、突然、両大腿部を多数回膝蹴りされた。同被告は、これに対して憮然とした表情を示したところ、さらに、被害者から「やるのかよー。」と怒鳴られて顔面を多数回手拳で思いっきり殴打され、後ろによろめいて倒れそうになるとともに、目の前が真っ暗になるほどの強い衝撃を受けた。
(2) そこで、被告一郎は被害者の右攻撃に対して同人の顔面を二回殴って反撃したところ、被害者はこれによってさらに激昂し、被告一郎の顔面等に容赦なく多数回に亘って強度の手拳での殴打や足蹴を一方的に加えたため、同被告は意識が朦朧として目の前が見えない状態で後退し、本件現場北側の壁まで追い詰められた。
(3) 被告一郎は、被害者の右攻撃に身の危険を感じ、その攻撃を止めさせるため、護身用に上着のポケットに入れていた本件ナイフを取り出し、その刃を出したうえ、これを右手に握って同人に示して威嚇した。
(4) しかし、被害者はこれに何ら臆することなく、なおも被告一郎に猛烈な手拳での殴打、足蹴を執拗に加え続け、そのままでは同被告の身体、生命に重篤な危害の生ずべき状況を惹起した。そこで、被告一郎は、もはや本件ナイフを用いるほかに被害者の攻撃を防御する法途がなくなり、自己の生命、身体の安全を守るためにやむをえず、ナイフを右手に握ったまま被害者と相対し、その上体に向けてこれを水平に突き出すようにして振り回した。被害者はこれに怯まず、また痛がる様子を示すこともなく、さらに、被告一郎に対して力まかせに殴打、足蹴を加え続けたうえ、ナイフを握った同被告の右手首を掴み、そのまま同被告を本件現場西側の壁に押しつけてその左肩を押さえつけた。被告一郎は、これを振りほどいたけれども、被害者からなお右手拳で顔面を強烈に殴打され続け、前同様に身体、生命の危険な状況に陥れられ、その身を防衛するためにやむをえず、同人の上体に向けてナイフを突き出すようにして振り回した。これに対し、被害者は、左腕でナイフによる攻撃を避けるようにしながら、右手拳で被告一郎を殴り続けた。その間に被害者が後退し始め、これにつれて両者はもつれあうような状態で本件現場出入口からその前の廊下に出て行き、その場で両者の間に割って入った級友らによって制止された。
(三)(1) 被告一郎が被害者に対して本件ナイフを突き出した回数は前後五、六回程度であり、その刺突の態様も、前に突き出すように振り回したというものであるが、被害者からの攻撃を防御する中で行ったもので、両者の間隔は五〇ないし六〇センチメートル程度で、目撃していた他の生徒には被害者の身体までナイフが届いているかどうかもわからず、被告一郎においても被害者に刺さったのかどうかわからないといった程度に止まっており、力まかせに体重をかけて突き刺すといった強度なものではない。他方、その間、被害者が被告一郎に加えた殴打、足蹴は三〇回を下らない。
(2)① 被告一郎は、本件事件当時一七歳(昭和四六年一二月二六日生)、身長165.5センチメートル、体重五五キログラムであったのに対し、被害者は、本件事件当時一八歳(同年四月二五日生)、身長一七六センチメートル、体重68.4キログラムであり、体力及び腕力で被告一郎に遙かに優っていた。
② また、被告一郎は、小心な性格で中学校入学以来本件事件発生までに暴力沙汰の喧嘩をしたことは全くなかったのに対し、被害者は、平成元年二月の修学旅行の際、目の会った同級生に対して気に入らないと因縁をつけたうえ殴打して打撲傷を負わせるなどしたことがあり、右修学旅行での暴力事件以来、腕力、体力が他の生徒より優っている者として校内で知られていた。
③ 被告一郎も自分が小柄であるのに対して被害者が身長一八〇センチメートル程の大柄で、しかも喧嘩が強い人物であると認識していた。
(四) 以上の事実によれば、被告一郎は、本件事件当時、被害者による同被告の生命、身体に対する故意の違法な急迫した侵害行為に対し、防衛行為として被害者を突き刺したというべきである。
2 また、被害者の加害行為は、手拳による殴打、足蹴を猛烈かつ執拗に加え続けたもので、被告一郎が意識が朦朧として目の前が見えない状態に追い詰められるほど極めて強度なもので、同被告の、身体、生命に危害を加える程度のものであったこと、これに対する同被告の防衛行為は、当初は素手による殴打、次いでナイフを示しての威嚇、そして、右威嚇によっても被害者の暴行から逃れることができなかったため窮余ナイフでの刺突というように被害者の攻撃態様に応じてその程度が段階的に強くなっていったものであること、本件ナイフの形状も殺傷能力の低いものであり、その刺突の強さ、回数も著しいものではないこと、本件ナイフは被害者の上体に向けられているが、これは同被告が被害者から暴行を受けている状態での反撃であってその体制からして同人の上体に向けざるをえなかったためであり、また、特にその急所に狙いをつけたものではないこと、両者に体格、腕力差があり、同被告が自分よりも被害者の体格、腕力の方が遙かに優っているものと認識していたこと及び級友らに制止されるまで両者は闘争状態にあって被告一郎が被害者を一方的に制圧するほど優位に立ってはいなかったことを総合すれば、同被告の被害者に対する本件ナイフでの刺突は防衛行為としても相当なものであったというべきである。
3 被告一郎は、被害者を刺突して死亡させたことに対して心情的には良心の呵責に耐えず、心からその冥福を祈るものであるが、前記事実の下では自己の生命、身体の安全を防衛するためにやむをえず刺突したものというほかない。
二 過失相殺
仮に、正当防衛が成立しないとしても、前記事実によれば、被害者には本件事件を自招したものとして相当程度の過失が認められ、過失相殺がなされるべきである。
三 損害の填補
原告らは、平成元年一二月一四日、日本体育・学校健康センターから死亡見舞金として九八〇万円の支給を、埼玉県高等学校安全互助会から死亡見舞金として四九〇万円の支給をそれぞれ受け、右同額分の損害の填補を得ている。
従って、原告らは、右金額合計一四七〇万円を損害賠償額から差し引くべきである。
〔被告県の主張〕
一 被告一郎の正当防衛
被害者の死亡は被害者の被告一郎に対する暴行に対して同被告がその身体、生命を防衛するためやむをえず行った防衛行為の結果であり、同被告には正当防衛が成立し、損害賠償責任が認められないから、被告県にも損害賠償責任はない。
二 仮に被告県に損害賠償責任が認められるとしても、本件事件は前記のとおり被害者の故意、過失に基づく行為によって発生したものであるから過失相殺を主張する。
三 被告一郎の主張三(損害の填補)に同じ。
(被告らの主張に対する認否及び反論)
〔被告一郎の主張に対する認否及び反論〕
一1(一) 被告一郎の主張一1(一)の事実のうち、平成元年一一月一日に吉川高校内廊下で被告一郎と被害者が互いに道を譲らずに双方の肩がぶつかったことは認め、同校内で被害者を喜島ケイタと見誤ったことは不知、その余は否認し、その主張は争う。
(二)(1) 同一1(二)(1)の事実のうち、被告一郎が平成元年一一月二日午前一一時四五分ころ本件現場において被害者から睨みつけられたが喧嘩になるのを避けるために同人の顔を見ないようにしていたこと、被害者が同被告に「むかつくんだよなー。」と申し向けたこと、被害者が同被告の両大腿部を五、六回膝蹴りしたこと、被害者が同被告に「やるのかよー。」と怒鳴ったこと、殴られた同被告が憮然とした表情を示し、謝罪しないので被害者が「やるのかよー。」と怒鳴って同被告の顔面を六、七回手拳で殴打したことは認め、その余は否認する。
被害者は、被告一郎に因縁を付けたのではなく、「むかつくんだよなー。」と言って同被告に対して謝罪を求めたのであるが、同被告が謝罪することなく「何かした」ととぼけたことを言ったので、さらに「肩にぶつかっただろう」と言い、それでも同被告が謝罪しようとしないのでその両大腿部を五、六回軽く膝蹴りしたのである。被告一郎が被害者に謝罪さえしていれば被害者が手拳で殴打するなどの挙に出なかったことは明らかである。
(2) 同一1(二)(2)の事実のうち、被告一郎が被害者の顔面を二回殴って反撃したこと、これによって被害者がさらに激昂し被告一郎の顔面を普通の力で殴打したこと、眼の付近を殴られ目の前が一瞬くらんで見えなかったことは認め、被告一郎が顔面等に容赦のない多数回の強度の手拳での殴打、足蹴を一方的に受けたことは否認する。
(3) 同一1(二)(3)の事実のうち、被告一郎が護身用に本件ナイフを上着のポケットに入れていたことは認め、その余は否認する。
被告一郎は、最終的にはナイフで応戦するつもりで被害者に謝罪せずに反抗的な態度に終始したのであり、被害者の暴行に対し素手で応戦したものの被害者がひるむことなくさらに暴行を加えたので「この野郎」と激昂して反撃に出たのである。
(4) 同一1(二)(4)の事実のうち、被害者が何ら臆することがなかったこと、被害者が本件ナイフを握った被告一郎の右手首を掴み、そのまま同被告を本件現場西側の壁に押しつけ、その右肩を押さえつけたこと、被告一郎がこれを振りほどいたこと、その間に被害者が後退し始め、便所出入口からその前の廊下に出たこと、その場で級友らによって制止されたことは認め、その余は否認する。
(三)(1) 同一1(三)(1)の事実のうち、両者の間隔が五〇ないし六〇センチメートル程度であったことは認め、その余は否認する。
被告一郎が被害者を突き刺した回数は九回以上であり、その刺突の態様は振り回すというのではなく突き刺したものである。
(2)① 同一1(三)(2)①の事実のうち、被害者が体力及び腕力で被告一郎に遙かに優っていたとの点は否認し、その余は認める。
被害者と被告一郎間の体力にさしたる差はない。
② 同一1(三)(2)②の事実のうち、被害者が修学旅行の際に同級生と喧嘩したことは認め、その余は否認する。
被害者は身長は人並み以上であるが体格は細身であって体力があるという体型ではない。
③ 同一1(三)(2)③の事実は否認する。
2 同一2は争う。
3 同一3は争う。
二 同二は争う。
三 同三の事実のうち、原告らが死亡見舞金として合計一四七〇万円を受領したことは認め、その主張は争う。
右見舞金はそれぞれの制度によって支給されたもので、損害賠償金から控除されるべきものではない。
〔被告県の主張に対する認否及び反論〕
一 被告県の主張一は争う。
被告一郎は被害者に対抗意識を持ち、反抗的な態度に出て被害者を挑発し、さらに、本件ナイフで被害者を突き刺したものであり、防衛の意思に出たものではなく、被告一郎及び同県に損害賠償責任のあることは明白である。
二 同二は争う。
三 同三は被告一郎の主張三(損害の填補)に対する認否及び反論に同じ。
[三三六号事件]
(請求原因)
一 九八二号事件の請求原因一に同じ。
二 同二に同じ。
三 被告二郎及び同春子(以下「被告二郎ら」という。)の責任
(一) 被告二郎らは、未成年者である被告一郎の親権者であり、同被告の生活全般にわたって法定監督義務者としての責任を有する立場にあり、殊に、学校外における未成年者の行動については親権者に第一次的かつ高度な注意義務があるというべきところ、被告一郎はモデルガンを愛好して多数購入し、自宅の机などに飾り、さらに、ナイフを購入して机等に所持していたのであるから、本件事件当時、同被告が吉川高校に通学するに際して常時喧嘩闘争に備えて本件ナイフを学生服内ポケットに入れて登校していたことを被告二郎らが知らないはずがない。
したがって、被告二郎らは、被告一郎の日常行動に充分な注意を払い、喧嘩闘争に備えて折りたたみ式ナイフを携行して登校しないよう注意を与え又はこれを制止すべき義務があるにもかかわらず、これを放置した過失がある。
(二) 被告二郎らが右注意義務を尽くしていれば本件事件は未然に防止できたのであるから、被告二郎らの右過失と被害者の死亡との間には相当因果関係がある。
(三) よって、被告二郎らは、民法七〇九条、七一九条により原告らの後記損害を連帯して賠償する責任がある。
四 同四に同じ。
五 結語
よって、共同不法行為に基づく損害賠償として、被告二郎らに対して、原告正紀は三六五七万七八一七円及び内三五五七万七八一七円に対する、原告伊久子は三四九五万四五三七円及び内三三九五万四五三七円に対するそれぞれ不法行為の日の後である平成元年一一月三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払いを求める。
(請求原因に対する認否及び被告二郎らの反論)
一 請求原因一の事実は認める。
二 同二の各事実は被告一郎の認否及び反論の二に同じ。
三1 同三の被告二郎らの注意義務、過失及び因果関係を争う。
2(一) 被告一郎は、中学校入学以来本件事件発生までの間、暴力沙汰の喧嘩はもちろん特別な問題を起こしたことのない普通の生徒であり、その素行等につき吉川高校から被告二郎らが注意、呼出し等を受けたことも全くなく、また、家庭生活においても特段問題がなかった。このように、被告二郎らにおいて、被告一郎が高校でナイフ等で喧嘩をするような兆候は何ら窺えなかった。
(二) 被告二郎らは、被告一郎とその住所地において同居生活し、同被告とその学校生活等について食事の際等常日頃から会話をし、同被告の部屋が自宅二階にあって二階ベランダに出るには必ず同被告の部屋を通らなければならないこともあって同被告の部屋については常日頃から気を配っていた。また、被告二郎らは、右のような生活の中で被告一郎の学校生活についても適宜注意を与えるなどしていた。
(三) 右の事実からすれば、被告二郎らには、被告一郎が本件ナイフを学生服のポケット又は勉強机の引き出しの中に保管していたことや右ナイフを携帯し、学校内で他の生徒から因縁を付けられた際、これに対する防御として同ナイフで刺突して死亡させることまでは予見することができず、これを予見すべき注意義務を認めることもできない。
さらには、被告二郎らが被告一郎のポケットや机の引き出しの内容物を点検、検査することは本件事件当時一七歳の高校三年生であった同被告の教育上も不適切であることから、被告二郎らにそのような点検、検査義務を認めることもできない。
(四) 本件事件は、もっぱら被告一郎の学校生活上において学校内で起きたものであり、しかも、被害者が同被告に対して因縁をつけて暴行を加えたことが発端となって偶発的に起こったものであるから、被告二郎らが被告一郎の学校生活につき充分な注意を払っていたとしてもこれを回避できなかったものである。
(五) よって、被告二郎らは、被告一郎に対する監督注意義務を尽くしていたのであるから、同被告らに原告ら主張の注意義務及びその懈怠はなく、また、原告ら主張の注意義務違反と被害者死亡との間の因果関係については被告二郎らに予見可能性がなく相当因果関係も認められない。
四 同四は被告一郎の認否及び反論の四に同じ。
(被告二郎らの主張)
一 正当防衛
仮に、被告二郎らに原告ら主張の過失及び因果関係が認められたとしても、被告一郎の前記行為は被害者の加害行為に対する正当防衛であって違法性がないのであるから、被告二郎らは被害者の死亡の結果につき損害賠償責任を負わない。
二 過失相殺
また、たとえ右正当防衛が成立しないとしても、本件事件に至る経緯及び状況に照らせば、被害者には本件事故を自招したものとして相当程度の過失が認められ、被告二郎らとの間においても過失相殺がなされるべきである。
三 九八二号事件の被告一郎の主張
三(損害の填補)に同じ。
(被告二郎らの主張に対する認否及び反論)
一 被告二郎らの主張一は争う。
二 同二は争う。
三 同三は九八二号事件の被告一郎の主張三に対する認否及び反論に同じ。
第三 証拠<省略>
理由
[九八二号事件]
(請求原因)
第一請求原因一(当事者)の事実は当事者間に争いがない。
第二本件事件の発生
一証拠(<書証番号略>、証人岡野豊、同有賀隆利、被告甲野一郎、原告長谷正紀)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実(一部争いのない事実を含む。)が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
1 本件事件に至る経緯
(一) 本件事件当時、被告一郎は吉川高校三年二組、被害者は同校三年三組にそれぞれ在学していたが、被告一郎は日頃から気を大きくするため護身用に二つ折りのジャックナイフ(刃体の長さ約5.5センチメートル)を制服であるジャケットの内ポケットに携帯して登校し、休憩時間等にナイフを友人に見せびらかしていたため、同被告の級友は同被告がナイフを所持していることを知っていたが、被害者は右事実を知らなかった。
(二) 被告一郎は、高校三年生になってから休憩時間に喫煙をする生徒の溜まり場となっていた本件現場で被害者と初めて顔を会わすようになったが、両者はほとんど言葉を交わすこともなかった。
しかし、被告一郎は、高校三年生になった平成元年九月初旬ころ友人の喜島ケイタをふざけて殴ろうとして、人間違いをして被害者を誤って小突いたことがあり、その場ですぐ被害者に謝罪したが、同人は黙っていた。その後、被告一郎と被害者との間には特にもめごともなかったが、本件事件の前日である平成元年一一月一日に廊下ですれ違う際に両者が道を譲らず双方の肩がぶつかり合ったことがあり、その場はお互いに何も言わずにそのまま別れたが、被害者は、同日の体育の授業のサッカーの試合を行った際、友人の野本拓司に「甲野と何回か肩がぶつかり、あいつむかつく(ママ)」などと話しており、被告一郎に対して悪感情を抱いていた。
2 本件事件の状況
被害者は、平成元年一一月二日午前一一時四〇分、第三時限目の授業終了後の一〇分間の休憩時間に本件現場である吉川高校ホームルーム棟東側男子便所内に赴いたところ、そこに被告一郎がいたため、同被告に対していわゆるガンツケ(睨みつけ)をした。しかし、同被告が喧嘩になるのを避けるため同人の顔を見ないようにしていたため、被害者は、同被告に「むかつくんだよなー。」と申し向けたうえ、同被告が「何かした」と答えると「肩がぶつかっただろう。」と言うなり、いきなり同被告の太もも付近を軽く四、五回膝蹴りし、同被告を挑発した。
被害者は、被告一郎が右暴行に憮然とした表情をすると「やるのかよー。」と言うなり両手拳で同被告の顔面付近を七回程強打し、そのため、被告一郎は後ろによろけ、被害者にほとんど一方的に暴行を受ける形となった。
ここに至って、被告一郎は、被害者に手拳で殴打するなど反撃を開始したが、被害者がさらに同被告を殴り続けたため、一旦、被害者に背を向け、本件ナイフを制服であるブレザーの左ポケットから取り出し、右手に持って被害者に示して威嚇したが同人がひるむことなくさらに暴行を加えたため、夢中でナイフを前に突き出し始めた。しかし、被害者はそれにひるむことなく、被告一郎の右手を押さえようとしながら、なおも同被告の顔面付近を両手で殴り続けていたが、その回数は徐々に減り、両者はもつれ合うようにして被害者が後退する形で本件現場の出入口付近に移動し、廊下に出たところで本件現場周辺に居合わせた他の生徒が両名の中に入って喧嘩を止めたが、被害者はぐったりし、その胸付近は血に染まっていた。
3 受傷の程度
被害者はすぐに救急車で吉川中央病院に運ばれたが、前同日午後八時三〇分ころ、刺創による両肺損傷等の傷害により同病院内で死亡した。被害者の身体にはナイフによる刺創ないし切創が前面には胸部、腹部を中心に九か所、背面には左肩甲骨から左肩、左腕にかけて五か所存在していた。なお、被告一郎も被害者の暴行により受傷したが、病院での治療は一回受けたのみである。
二以上の事実を総合すれば、被害者は、本件事件前日に学校内の廊下で被告一郎の肩が被害者の肩にぶつかったことを根に持ち、同被告に喧嘩を売って同被告を殴打、足蹴にするなどの暴行を加えたが、逆に、被告一郎に本件ナイフで反撃を受け、その胸部、腹部等を刺され、両肺損傷等の傷害を負って死亡したものと認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
第二被告らの責任
一被告一郎の責任
(一) 被告一郎が被害者を本件ナイフで突き刺して死亡させたこと、同被告が本件事件当時満一七歳一一か月であったことは前判示のとおりであって、他に特段の事情も認められないから、同被告はその年齢及び前示行動に照らし本件事件の責任を弁識するに足りる能力を備えていたものと認められる。
(二) なお、被告一郎は本件ナイフによる反撃行為は正当防衛に当たり責任がない旨主張するので検討する。
確かに、最初に因縁をつけて暴行を加えたのは被害者であること、被害者は被告一郎が本件ナイフによる反撃を加えるまで同被告にほとんど一方的に暴行を加え続け、しかも、その暴行は執拗に加えられていることは前判示のとおりであって、これらの事実によれば被害者の右暴行行為は被告一郎の身体に対する急迫不正の侵害行為に当たると解するのが相当である。
しかし、被告一郎が被害者から前示暴行行為を受けた場所が在学中の学校の便所内で、その時間帯が授業の合間の休憩時間中であり、しかも、便所周辺には他の生徒もいたのであるから、元来、本件ナイフによる反撃以外の方法が必ずしも考えられない状況ではなかったこと、被害者の攻撃は凶器を使用したものではなく素手によるものであること、被告一郎の受傷の程度は比較的軽いものであったのに対し、被告一郎は本件ナイフによって被害者の胸部、腹部を九か所突き刺すなどし、その程度も肺に損傷をもたらすほどのものであったこと、被告一郎が右手に所持した本件ナイフによって被害者を突き刺し始めてから被害者は同被告の右手を押さえようとしながら、なお殴打していたがその回数は徐々に減少し、本件現場出入口付近から廊下の方へ後退していること、他の生徒が両者の中に入って喧嘩を止めたとき被害者がぐったりしていたことは前判示のとおりであり、証拠<書証番号略>によれば、被告一郎は身長165.5センチメートル、体重55.5キログラムであるのに対して、被害者は身長一七六センチメートル、体重68.4キログラムであり、両者には体格差があることが認められるがその差は必ずしも著しいものとはいえないこと、被害者は平成元年二月の修学旅行の際にも以前目の会った生徒が気に入らないという理由で暴力を振るいその生徒に打撲傷を負わせる事件を起こし、それ以来、周囲から喧嘩が強いと見られていたが、その他に被害者が校内で暴力事件を起こしたような事情は窺われないこと、被告一郎自身も捜査段階でやり過ぎたことを自認していることが認められるのであって、右事実を総合すれば、被告一郎の本件ナイフを用いての反撃行為は防衛行為としてはその程度を越え相当性を欠くものというべきであり、被告一郎の右主張を採ることはできない。
(三) よって、被告一郎は民法七〇九条に基づき原告らの後記損害を賠償すべき責任がある。
二被告県の責任
1 本件事件当時、松下校長が吉川高校の校長であり、福重教諭が同校教諭で被告一郎のクラス担任であったことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、証人岡野豊、同有賀隆利、被告甲野一郎、原告長谷正紀)によれば、次の事実(一部争いのない事実を含む。)が認められ、他にこれを覆すに足りる証拠はない。
(一) 本件事件当時、吉川高校で教師に対し反抗的な生徒がいたことは否定できないが、非行生徒がグループや組織を形成して暴力行為等を行うというようなことはなく、生徒の問題行動は主として喫煙、遅刻、授業中に教室から抜け出すといった類のもので、本件現場は自然に休憩時間中に喫煙する生徒、特に三年生の溜まり場となっていた。
(二) 本件事件発生以前に、吉川高校において生徒間の喧嘩、暴力行為は年間一四、五件の割合で発生し、受傷者が出たのはそのうち約三分の一であったが、その怪我の程度はいずれも軽いものであったし、また、右喧嘩、暴力行為はいずれも素手によるもので、素手以外の道具、凶器類を使用したケースはなく、さらに、生徒が凶器類を所持しているのが発覚したことやそのことで学校側が生徒に対して注意指導を行ったケースもなかった。
(三) 右のような状況の下で、本件事件当時、吉川高校では服装、頭髪、廊下や教室でのボール投げ、喫煙、授業時間に遅れないで教室に入ること、勉強に必要な物以外に余計な物を学校に持って来ないことなどを注意するなどの生徒指導を行っており、登校時の遅刻防止のための登校指導、教師が当番制で休憩時間に校内を巡回して生徒に始業のチャイムが鳴ったら直ちに授業態勢に入ることや喫煙を注意するなどの指導を行う巡回指導、授業中に外部からの侵入者による授業妨害を阻止するために校門に立って指導する立番指導などを行っていた。また、ケースによっては喫煙、バイクの免許取得、喧嘩などを理由に自宅謹慎処分も行われていたが、生徒の所持品検査は行われていなかった。なお、本件事件当日の第三時限と第四時限の間の休憩時間中の三年生の巡回指導の当番は福重及び中西両教諭であったが、両教諭とも本件事件発生時には本件現場付近にはいなかった。
(四) このように、吉川高校では休憩時間中に巡回指導等を行うという体制はとられていたものの、本件現場である男子便所(小便用便器四個、大便用二室、用具室等)は出入口が南側廊下側の一か所のみでドア等の設備はなく、廊下から一望できるものであったにもかかわらず、本件事件当時も生徒による休憩時間中の本件現場(大便室、用具室内等)での喫煙は依然として行われていたし、教諭が便所内まで立ち入って喫煙を注意することまでは行われておらず、喫煙に関する指導は充分には徹底していなかったものといえる。
(五) なお、原告らは、被告一郎の級友らが同被告の本件ナイフ携帯の事実を知っていたことなどから松下校長らも右事実を知っていた旨主張するが、被告一郎が吉川高校の教員らにナイフを所持しているところを現認されたことがないこと、また、同被告の隣のクラスにいた被害者が右事実を知らなかったことからしても右事実を知っていたのは全校生徒の中の一部の生徒の者であったと考えられること、さらに、被告一郎の級友が同被告のナイフ携帯の事実を教員に知らせた事情も窺われないことなどから、被告一郎の級友らが同被告の本件ナイフ携帯の事実を知っていたことのみをもって松下校長らが被告一郎のナイフ携帯の事実を知っていたとまで推認することはできず、結局、原告主張の右事実の立証はないものといわざるをえない。
(六) 以上の事実を総合すれば、本件事件当時、吉川高校が生徒同志による凶器を使用しての喧嘩や暴力行為が行われるといった具体的状況にあったものということはできない。
2(一) 学校の校長ないし教員は、学校における教育活動及びこれと密接不離の関係にある生活関係において、生徒を親権者等の法定監督義務者に代わって保護監督する義務があり、学校の授業時間の合間の休憩時間中にも右の義務があると解されるところ、右保護監督義務が妥当するのは学校生活において通常発生することが予測可能な範囲内のこと、ないしは通常発生することが予測できないことであっても特別に予見可能であったことに限られるものと解するのが相当である。
(二) そして、生徒同士がナイフといった凶器を使って喧嘩し、傷害致死事件を惹起することは学校生活において通常発生することが予測困難な突発的な出来事であるから、右のような事件の発生する危険性を具体的に予見することが可能な特段の事情がある場合は格別、そうでない限りは、校長ないし担任教諭としてはナイフを使用しての喧嘩、闘争を予見することは困難であって、その発生を回避するために生徒を監視指導すべきであったとまではいえないと解するのが相当である。
本件では前判示のとおり、被害者ないし被告一郎が他の生徒に凶器を使用して暴行を加えかねない切迫した特段の事情、すなわち、以前から生徒間での対立や凶器を使用しての暴行事件の発生、生徒の中にナイフ等の凶器類を所持している者がいるといった本件類似の事故の発生を予見することが可能な事情は本件全証拠によってもこれを認めることはできないのであるから、松下校長らに右保護監督義務違反を認めることはできない。
(三) これに対して原告らは、生徒に対する所持品検査を実施していれば本件事件を未然に防止できたにもかかわらず、松下校長らが所持品検査を実施しなかった点に保護監督義務違反があるとも主張する。
確かに、前判示のとおり、被告一郎がほとんど毎日ナイフを学校に携帯していた事実は認められるのであるが、学校教育の場においては生徒の人格尊重にも充分に配慮する必要があり、殊に、高校教育の場においてはその対象となる生徒の年齢が一六ないし一八歳であること等に鑑みれば、生徒の自主性、社会性を養いつつその個性の伸長をはかることが要請されるところであって、プライバシー等の人格権をみだりに侵害することのないよう慎重な配慮が必要とされるものといえる。したがって、学校ないし教師がみだりに生徒の所持品検査を実施することは生徒のプライバシー等の人格権を侵害する危険性が極めて高く、その教育効果に鑑みれば、高校教諭に事故発生の危険性を具体的に予測させるような特段の事情があれば格別、そうでない限りは、所持品検査を実施すべき義務まではないと解するのが相当である。
これを本件について見ると、前判示のとおり、本件事件発生当時、本件類似事件の発生を予見すべき具体的状況には至っていなかったというべきであるから原告ら主張の保護監督義務違反はこれを認めることはできない。
3 よって、松下校長及び福重教諭いずれにも未だ原告主張の保護監督義務違反を認めることはできず、その余について判断するまでもなく原告らの被告県に対する請求は理由がない。
第三原告らの損害
一証拠(<書証番号略>、原告長谷正紀)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実(一部争いのない事実を含む。)が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
1 被害者の逸失利益 四一三五万四六八六円
原告らは、被害者の逸失利益算定の基礎となる収入を昭和六三年の賃金センサスの産業計全労働者の年平均賃金三九二万四四〇〇円として四七九〇万九〇七五円が被害者の逸失利益であるとしているが、前判示のとおり被害者は本件事件当時満一八歳の男子であり、証拠(原告長谷正紀)によれば、被害者は平成二年三月に吉川高校を卒業して就職する予定であったことが認められるから、被害者の逸失利益算定の基礎となる収入は、同人が死亡した平成元年の賃金センサス(男子労働者の産業計・企業規模計・旧中、新高卒の学歴計の平均賃金)によるのが相当であり、原告らの右主張金額の限度内で右平成元年の賃金センサスによる年収四五五万二三〇〇円を基準に逸失利益を算定すべきである。
右によれば、被害者は今後一八歳から六七歳までの四九年間就労可能であると考えられ、平成元年の右賃金センサスによる年収四五五万二三〇〇円を基準に、その間の生活費として五〇パーセント、中間利息をライプニッツ方式によりそれぞれ控除すると(ライプニッツ係数は18.1687)、その逸失利益は四一三五万四六八六円となる。
4,552,300×0.5×18.1687
=41,354,686
原告らは、これを各自二分の一(二〇六七万七三四三円)ずつ相続した。
2 葬儀費用 一二〇万円
証拠(<書証番号略>、原告長谷正紀)によれば、原告正紀が平成元年一一月四日に被害者の葬儀を行い、その費用として一六二万三二八〇円を支払ったことを認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、被害者が高等学校に在学中の者であったことなど諸般の事情を考慮すると、右金員のうち一二〇万円を本件事件による損害として認めるのが相当である。
3 原告らの慰謝料 原告ら各自九〇〇万円
証拠(<書証番号略>、原告長谷正紀)によれば、被害者は原告らの次男で平成二年三月に吉川高校を卒業して就職する予定であったこと、健康であった息子がナイフで刺されて急死したことによって原告らが多大の精神的苦痛を受けたことが認められ、右認定に反する証拠はないから、右事実に照らし、原告らが本件事件によって被った精神的損害に対する慰謝料は、各自につき九〇〇万円と認めるのが相当である。
4 弁護士費用については後記第五のとおりである。
5 小計
右1ないし3を合計した金額は、原告正紀につき三〇八七万七三四三円、原告伊久子につき二九六七万七三四三円となる。
第四被告一郎の抗弁
一過失相殺
1 本件事件の発端は被害者が被告一郎に対して因縁をつけたうえ、暴行を加えたことにあり、右暴行が急迫不正の侵害行為に当たるものであること、しかも、右暴行は執拗に加えられ、被告一郎がナイフを被害者に示して威嚇してもなお続けられていること、それが本件事件を重大なものにした一つの要因になっていることは前判示のとおりであり、右各事実に照らせば、本件事件の発生につき、被害者にも過失があったと認めるのが相当である。
2 過失割合
被告一郎が故意に被害者をナイフで突き刺して同人を死亡させたこと、しかもその突き刺した回数が被害者の身体前面だけでも少なくとも九回に及ぶもので過剰防衛行為であることは前判示のとおりであり、かかる行為によって尊い人の生命を奪う結果を招いたことは厳に責められるべきものであるが、他方、被害者は本件事件当時満一八歳で充分に事の善悪を判断する能力を備えていたにもかかわらず、被告一郎を些細な理由から挑発したうえ暴行を加え、しかも、それは執拗なもので、被告一郎がナイフを被害者に示して威嚇してもなお続けていたことなどを考え合わせると、被害者の右行為は過失相殺の割合を判断するに当たり相当大幅に斟酌されなければならない事情と解すべきである。
以上のように考えると、過失相殺の割合は四割とするのが相当である。
二損失填補
原告らが平成元年一二月一四日に死亡見舞金として、日本体育・学校健康センターから九八〇万円、埼玉県高等学校安全互助会から四九〇万円の合計一四七〇万円の支給を受けていることは当事者間に争いがなく、日本体育・学校健康センター法四四条二項では第三者が被害者らに損害賠償責任を負う場合には日本体育・学校健康センターが当該第三者に対する求償権を取得する旨定められていること、埼玉県高等学校安全互助会給付規定四条では見舞金の給付事由が第三者の行為によって生じた場合に被害者らが当該第三者から損害の賠償を受けた場合には互助会が見舞金の返還を請求できる旨定められていることなどからすれば、右各死亡見舞金は第三者の損害賠償、他の法令等に基づく補償、給付等と相互補完的で性質を同じくするものと解することができるから、この填補額一四七〇万円の二分の一(七三五万円)ずつを原告両名の損害から控除するのが相当であり、原告らの以上の損害額について四割の過失相殺をした額から右支給額を控除すると原告正紀につき一一一七万六四〇五円、原告伊久子につき一〇四五万六四〇五円となる。
第五弁護士費用 原告ら各自八〇万円
原告らが本件訴訟の提起、追行を弁護士たる本件訴訟代理人に委任したことは明らかであるところ、本件における審理の経過、事案の性質、認容額等を総合すれば、弁護士費用は原告ら各自につき八〇万円が相当である。
[三三六号事件]
第一請求原因一(当事者)の事実は当事者間に争いがない。
第二本件事件の発生に関しては九八二号事件の第二に判示したとおりである。
第三被告二郎らの責任
一本件事件当時、被告二郎らが被告一郎の親権者であったこと、被告一郎が両親である被告二郎らと同居していたことは当事者間に争いがなく、被告一郎がほとんど毎日本件ナイフを携帯して登校していたことは前判示のとおりであり、証拠(<書証番号略>、証人岡野豊、同有賀隆利、被告甲野一郎)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実(一部争いのない事実を含む。)が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
1 被告一郎は被告二郎らの長男であり、姉妹が各一名おり、祖父母を含めた七人家族であったが、両親が共働きで祖父母にかわいがられたこともあって、内向的でおとなしく気弱な性格で高校での友人も少なかった。しかし、同被告の家庭は円満で親子関係にも別段これといった問題はなかった。
2 被告一郎は、高校一年生ころまでは普通の生徒であったが、高校二年生ころから学業の遅れなどから喫煙を始めたり、授業中に教室を抜け出したり、無免許でバイクを運転したり、校則で禁止されているバイクの免許を取得し自宅謹慎処分を受けたり、頭髪にパーマをかけたりするようになったが、それ以外に喧嘩や暴力事件は中学校入学以来本件事件まで起こしたことがなく比較的問題行動の少ない生徒で非行、補導歴もなかったし、また、被告二郎らが被告一郎の問題行動を理由に学校から呼出しを受けたこともなかった。
3 被告一郎は、中学校二年生ころから戦争物の映画に影響されてナイフやモデルガンに興味を持つようになり、中学生のころは空気銃をプラモデル屋で購入して家の中で撃って遊んだりしていたし、高校に入ってからは弾の出ないモデルガンをガンショップで購入し、自室に置いていた。また、被告一郎は高校一年生の終わりの昭和六三年三月ころ同じガンショップで本件ナイフを喧嘩を売られた場合に相手を威嚇するためなどの護身用として購入したが、教室等で友人にナイフを見せびらかして優越感に浸るなどの行動もとっていた。さらに、高校二年生の終わりころには自宅で触ったりして楽しむために全長二五ないし三〇センチメートル、刃体の長さ約一五センチメートルの大型のジャックナイフも購入した。しかし、被告二郎らは、被告一郎がモデルガンを所持していることは知っていたが、本件ナイフを含むナイフ類を購入して所持していたことには気づいていなかった。
なお、本件証拠上認められる被告一郎の問題行動については以上に認定したとおりであって、他に同被告に問題行動があったことを認めることはできない。
4 被告二郎らは、被告一郎が遊びで夜遅く帰宅した際には同被告を叱り、頭髪のパーマについても特に注意をするなどしていたし、日常的にも喧嘩や人を傷つけたりしないよう注意を与えていた。また、被告一郎の部屋がベランダへ出る通り道にあたることや被告春子が被告一郎の部屋の掃除をしていたこともあって、被告春子は被告一郎の部屋の様子を充分把握できる状況にあった。
二以上によれば、被告一郎が内向的でおとなしく気弱な性格で中学校入学以来喧嘩や暴力事件を起こしたことがなく、また、過去に非行、補導歴がなかったこと、その問題行動も喫煙や校則で禁止されているバイクの免許の取得、頭髪にパーマをかけるといったものに止まっていたことなどからすれば、被告二郎らにおいて被告一郎がナイフといった凶器を使用しての傷害事件を惹起することを予見すべき状況にあったということはできず、本件事件がいわば突発的な側面を有する事件でもあったことを考え合わせると、被告二郎らが被告一郎のナイフ所持の事実に気づかなかったとしても保護者として当然になすべき監督義務を怠っていたとまではいうことはできないし、本件事件の突発性を考えれば、仮に被告二郎らに一般的な監護義務違反があったとしても、本件事件との間の相当因果関係を認めることはできない。
なお、原告らは、被告一郎がモデルガンを愛好して多数購入し、自宅の机などに飾っていたことやナイフを自室の机等に保管していたことを理由に被告一郎が本件ナイフを常時喧嘩闘争に備えて携帯して登校していたことを被告二郎らが知っていた旨主張するが、モデルガンを愛好し飾っていたことによって当然に被告二郎らが被告一郎のナイフの購入、所持の事実まで知っていたと推認することはできないし、また、ナイフを自室の机等に保管していた事実から被告二郎らが被告一郎のナイフ所持の事実を知り得る可能性があったことは認めることができ、また、親権者として、状況如何によっては高校生といえどもその所持品検査等をすべきであるということはできるが、前述のとおり同被告がナイフといった凶器を使用して傷害事件を惹起することを予見すべき状況にあったとは認め難い本件においては、それだけで被告二郎らが被告一郎のナイフ所持の事実を知っていたとまで認めることはできないのであって、原告らの主張は採ることができない。
三よって、その余について判断するまでもなく原告らの被告二郎らに対する請求は理由がない。
[結論]
以上によれば、原告らの被告らに対する本訴請求は、被告一郎に対しては原告正紀につき右損害金一一九七万六四〇五円及び同金額から原告らにおいて控除して請求する弁護士費用相当分を控除した一一一七万六四〇五円に対する、原告伊久子につき右損害金一一二五万六四〇五円及び同金額から原告らにおいて控除して請求する弁護士費用相当分を控除した一〇四五万六四〇五円に対するそれぞれ本件事件発生日後の平成元年一一月三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余はその余の被告らに対する請求を含めて失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官山﨑健二 裁判官上原裕之 裁判官桑原伸郎)